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2014年9月22日 (月)

天井

先日久しぶりに、興津に行ってきました。

そこで、いくつかの建物の天井がなかなかおもしろかったので、今回は天井をテーマに。

静岡市清水区にある、清見寺は歴史もあり五百羅漢や、家康が今川家の人質のなっていた時に勉強していたという書室があったり、庭園が綺麗だったりで、有名なところですが、その隣に、瑞雲寺と言うお寺(駿河一国観音霊場 第23番札所)があります。

そこのお堂の天井。

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薄暗いので、気がつかない人が多いのではないかと思いますが、書かれた現存のものがそのまま残っているのは、とても珍しいそうです。

清見寺の中の一番いいお部屋と言われている部屋(もしも、天皇が清見寺にお泊りになることがあれば、お泊めする、一番格式の高いお部屋)の天井。

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天井と壁との境の天井板の曲げ具合は大変難しく、井川地区に伝わる曲げわっぱを作る技術が使われているそうです。

次は、「血天井」と言われるもの。

およそ400年前(丁度西暦1600年)、徳川公姫寄進の大玄関を作る時に、その更に400年前(鎌倉時代=こちらも丁度西暦1200年)梶原景時一族が清見関(清見時すぐ近く)で襲われその時に流した血がそのまま板の間に残されたものが、残存しており、その床板を「天井板」として利用してくれるように姫が言ったそうです。

その為、再利用した床には血が浸みこんでいることから、血天井と呼ばれていますが、雨の沁み込んでできだ痕もその上に重なった痕となり、全体に沁みが出来ています。

けれども、実際の血そのものの跡は、天井真ん中あたりの「丸いシミ」だそうです。この写真だと、右寄り手前から二つ目四つ目あたりの丸いしみです。全体に広がっているものは雨の浸みこんだ痕だそうです。

血の浸みこんだ床板が四〇〇年も保存されていたのも不思議ですが、四〇〇年も経ってから、その床板を天井板に使ったっていうのも、なんだかすごい話です。

現在はこの大玄関は実際には使われていないそうです。いわゆる開かずの間ではなく、開かずの玄関ですねえ。

Photo_7

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コメント

こんにちは。

清見寺さんの中へ入ったことありますが、天井は見上げませんでした。
ここには家康が学んだ、という小さな部屋が残されていますね。
家康が竹千代だったころの建物がそのまま残っているんですね。

appleharuさんへ
こんにちわ。ボランティアのガイドさんはいらっしゃいましたか?通常のガイドの時にはこの玄関の事は触れないようです。本堂から庭に回る角の一段低くなっているところの柱に何気なく「血天井」の小さな張り紙があります。たまたまそれを目にした人がガイドさんに聞いて、「お知りになりたいですか?」と一段下がって見上げないと見えない天井の事を説明してくれました。通常はこれが床板だったとの説明まではないようです。
瑞雲寺の方のお堂もお賽銭箱のところから中を覗きこまないと見えないです。写真をクリックして拡大していただくと、書かれたそのままの状態であるのがお分かりいただけるかと思います。

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