史跡 遺跡

2014年10月 6日 (月)

登呂遺跡のむし達 by むし倶楽部

    snail6の付く日は むし倶楽部の日chickです。

大荒れの天気で、虫たちもどうしていることでしょう。

9月23日の登呂遺跡にいた、むし達です。

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弥生時代にもいましたかねえ。

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水路にはトンボが一杯いたんですけど、なかなか姿は写せず。

つながって、水の中にダイブ!の跡です。

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そして、地元の方は「赤エビ」と呼んでいましたけれども、ザリガニの仲間?エビの仲間?アシの足元に沢山いました。

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※6の付く日はむし倶楽部の日です。むし倶楽部の詳しくは部長NOZOさんのブログをご覧くださいね。

2014年10月 5日 (日)

登呂遺跡の植物

登呂遺跡は今は登呂公園となり、登呂村から田んぼの水路沿いに散策路が作られています、水路の両側が登呂村の当時の植物を再現しています。

まだ、青いどんぐり。

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マメ科の植物

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数珠玉

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そして、こちらが、もしかしてハト麦ではないでしょうか?

数珠玉に似ていて、数珠玉は実がなると穂が垂れ、ハト麦は垂れないそうなんですが。

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そして、ガマ穂

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そして、もしかしたら、古代からこちらにいたかもって、虫たちも沢山見かけましたよ。

つうても、画面には納まりきらなかったけど(^_-)-☆

まあね、水路に落ちる訳にはいかないので。

明日のむし倶楽部で、ご紹介したいと思います。(あ、あまり期待はしないように。かすっただけの写真ばかりですから(*^。^*))

2014年10月 3日 (金)

弥生時代の稲作を再現

弥生縄文時代へ

弥生縄文時代にタイムスリップ の続編です。

※登呂遺跡は縄文時代の遺跡とずっと思いこんでしましたが、弥生時代の遺跡でした。お詫びして訂正いたしますm(__)m

登呂遺跡を久しぶりに訪れて、公園となっている遺跡を散策しました。

登呂村が再現され、家屋だけでなく、田や水路などが、公園や散策路として、うまく融合しています。

丁度9月下旬で実りの秋を迎えようとしている時でした。

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写真はすべてクリックで大きくなります。

丁度お米の花も咲いていました。

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日本緑モチ

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朝紫

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黒米

村全体を再現して、当時の水路や、自然を再現しています。

まだまだ、続きます(*^^)v

 

弥生時代にタイムスリップ

9月中旬の登呂遺跡公園。

公園中を歩くと弥生時代にタイムスリップしたような。

始めは何もないように見えた公園。

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ガマ穂の向こうに 登呂村が現れました。

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高床式倉庫の下で、火起こしをしています。

※写真はすべてクリックで大きくなります。是非拡大してご覧くださいね。

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建物だけでなく、村として全体が再現されています。

現代の実際の近隣の家々と、何の違和感なく。

→次は田んぼの様子です。更に続く~~(*^^)v

2014年10月 1日 (水)

弥生時代へ

久しぶりに、本当に久しぶりに登呂遺跡に立ち寄ってみました。

20年以上もしかして、もっとかしら。

子供が小さかった頃来たきり。

回りは随分変わっていました。

中もいろんな意味で変わっていました。

入り口がよくわからず、うろうろしていると、登呂遺跡の資料館がありました。

まず、そこから探険(?)です。

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さて、どこまでが本物でしょうか?人物も本物(?)とマネキンといます。

弥生式縄文土器

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まだ、清見寺の写真もアップしきれてないんですけど、日ばかりどんどん過ぎて行きます。

でも、ここは、弥生縄文時代にタイムスリップして、ゆったり時間が流れて行くようです。

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中に入ってみることが出来ます。

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屋根を見上げると

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資料館では、雨の日も太古の昔にかえることが出来ますね。

次は実際の登呂村の再現を見てみたいですね。ちょうど、稲の花も咲いていて、実りの秋がやってきた感じでしたよ。

→続く~~

2014年9月25日 (木)

五百羅漢 その背に

清見寺の五百羅漢。

何度も何度も見ているのに、今回初めて気がついたのは、その背中です。

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五百羅漢の中でも上の方に鎮座している羅漢さん。階段を下りて来た時に、背中の文字に気が付きました。

比較的新しいもので、寄贈されたもの?なのかしら、とも思いましたが、他の羅漢さんも

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そして、天を仰ぐ羅漢さんは、ずっと天を仰いだまま何を考えていらっ者うのか

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そのお背中は

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ちょっとわかりにくいですが、首ガックリの羅漢さんの背中です。

2014年9月23日 (火)

五百羅漢 新たにその①

ここの五百羅漢が好きで、何度も訪れている清見寺。

今回は友達と訪れました。

久しぶりだし、気のあった友達との散策で、今まで気がつかなかったりあるいは、見たことのないものもいくつか見つけました。

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この羅漢さんのお顔が好きでお顔は何度も写真に撮っています。そして通路に近く目につきやすいところにいらっしゃるのですが、今まで気が付きませんでした。

お腹にもう一人のお顔が。仏侘にみえますが、違いますか?

そして、草かげにいる羅漢さんも何度も写していますが、今回は草刈り直後だったらしく、今まで姿が見えなかった羅漢さんも

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よく五百羅漢の中には必ず知った人の顔や自分の顔があるといいますが、こんなにたくさんある中から、未だに、そういう顔は見つけられません。

と、前から後ろから眺めていて、新たな発見がありました。

次回に続く~~。いつもいつもすみません。なかなか写真の整理が追い付かず。完全に過去録になっておりますがm(__)m

2014年9月22日 (月)

天井

先日久しぶりに、興津に行ってきました。

そこで、いくつかの建物の天井がなかなかおもしろかったので、今回は天井をテーマに。

静岡市清水区にある、清見寺は歴史もあり五百羅漢や、家康が今川家の人質のなっていた時に勉強していたという書室があったり、庭園が綺麗だったりで、有名なところですが、その隣に、瑞雲寺と言うお寺(駿河一国観音霊場 第23番札所)があります。

そこのお堂の天井。

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薄暗いので、気がつかない人が多いのではないかと思いますが、書かれた現存のものがそのまま残っているのは、とても珍しいそうです。

清見寺の中の一番いいお部屋と言われている部屋(もしも、天皇が清見寺にお泊りになることがあれば、お泊めする、一番格式の高いお部屋)の天井。

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天井と壁との境の天井板の曲げ具合は大変難しく、井川地区に伝わる曲げわっぱを作る技術が使われているそうです。

次は、「血天井」と言われるもの。

およそ400年前(丁度西暦1600年)、徳川公姫寄進の大玄関を作る時に、その更に400年前(鎌倉時代=こちらも丁度西暦1200年)梶原景時一族が清見関(清見時すぐ近く)で襲われその時に流した血がそのまま板の間に残されたものが、残存しており、その床板を「天井板」として利用してくれるように姫が言ったそうです。

その為、再利用した床には血が浸みこんでいることから、血天井と呼ばれていますが、雨の沁み込んでできだ痕もその上に重なった痕となり、全体に沁みが出来ています。

けれども、実際の血そのものの跡は、天井真ん中あたりの「丸いシミ」だそうです。この写真だと、右寄り手前から二つ目四つ目あたりの丸いしみです。全体に広がっているものは雨の浸みこんだ痕だそうです。

血の浸みこんだ床板が四〇〇年も保存されていたのも不思議ですが、四〇〇年も経ってから、その床板を天井板に使ったっていうのも、なんだかすごい話です。

現在はこの大玄関は実際には使われていないそうです。いわゆる開かずの間ではなく、開かずの玄関ですねえ。

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2014年3月 2日 (日)

駿府城本丸堀

2月に3回駿府城公園内を自転車で通りました。

せっかくなので、少しだけ史跡探検。

2月19日は、本丸堀から、二之丸水路(本丸堀と二之丸彫をつなぐ水路)をたどります。

駿府城は三重堀となっており、一番内側の堀が本丸です。

明治二九年に埋められてしまったものを、発掘調査で掘り起こしたものです。

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二之丸水路。底にも石が敷いてある珍しい構造だそうです。

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二之丸水路から、二之丸へ。

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上の写真の左上の生け垣の中は今は紅葉山庭園となっています。背面には巽櫓があります。巽櫓には駿府城にまつわる資料などが展示されています。

が!わたくし、まだ、入ったことがありませんの。

だって、開館時間が短すぎです。四時半には完全に外に出ないといけないので、四時には入らないと見学できませんから。夏ぐらいはせめて五時までにしてほしいと、常々思っております。

でも、後日、やんごとなき用事でまた、ここ界隈に出かけなくてはならなかったので、巽櫓に入ってみましたよ。

そちらは、また後日ね。

2014年2月24日 (月)

楔 △ □

駿府城跡の石垣

楔がぐさっと。

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   三角形の楔

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   そして 四角い楔

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  この、小さな石は、大きな石よりも重要な役割だとか。崩れてしまった石垣の修復が難しいのは、この小さな隙間に入れられる石が組めないからだとか。

 人の役割も、きっとこの楔が大切なんだろうな。

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